風車


涼しい風が、神社の境内を吹き抜ける。
参道の両端に、いくつもの屋台が軒を連ねている。
今日は縁日なのだ。
楽しそうに歩く家族連れや、はしゃぐ子供たちの間を、
政と竜が二人、それぞれ洗いざらしの浴衣に身を包んで歩いていた。
「どうだ? たまには、こんなのも良いだろうが。」
「…悪くねぇな。」
仄かに微笑を浮かべながら歩く竜。その頭には、先ほど買い求めた狐のお面が乗っていた。
遠くから祭囃子が聞こえてきていた。恐らく今夜は盆踊り大会が開かれるのであろう。
「……。」
ふと竜が足を止めた。政は二、三歩ほど先に行ってからそれに気づいて振り向く。
竜は、風車の屋台の前に居た。風を受けて、色とりどりの風車が回っているのを、
竜は飽きもせずにじっと見つめていた。
「…どうした?」
「…あ、いや、何でもねぇ。」
政の声で我に帰った竜は、何でもなかったかのように歩き始めた。
その後について歩きながらも、政はしきりに風車の屋台をちらちらと振り返って見ていた。


政の仕事場に帰ってきた二人は、居間に座り込んで一息ついていた。
「なかなか、楽しかったな。」
「あぁ。」
答えて、竜は窓の外を見上げた。暮れなずむ空を、一羽の燕が横切っていった。
「っと、そうだ…。」
呟いて、政が懐から何かを取り出し、竜に渡した。
「お前ぇが、やたらと気にしてた様だったからよ…。買ってきてやったぜ。」
それは、小さな赤い風車だった。受け取った竜の顔が微かに綻ぶ。
「…すまねぇ。」
開け放した板戸から風が吹き込み、竜の手の中の風車を回していった。
その光景を、政と竜はいつまでも見つめていた。


桜花、舞い


地面に毛氈を敷き、その上に胡坐を掻く。
隅のほうに置いておいた酒を手元に引き寄せ、政は頭上を見上げた。
「こんな木があったなんてな…。」
隣に座った竜も、感嘆の声を上げる。
それは、見事な枝垂れ桜だった。風が吹くたびに、はらはらと薄桃色の花びらが、二人に向かって降り注いでくる。
「さて、飲むか。」
政が竜の盃に酒を満たす。それを受けて、竜も政の盃に酒を注ぐ。
ささやかな花見が始まった。
桜の花の甘い香りが、二人の鼻腔まで届いてくる。
「…いい酒だ。」
盃を干し、政が心地よさに目を閉じる。すると、
「…ん?」
空の盃を置いた政の手に、小さな桜の枝が落ちてきた。
何かの拍子に折れたのだろう、その枝にはまだ花びらがついていた。
「……。」
政は、その桜の枝を手に取り、しげしげと眺めていたが、何を思ったのか、
手の中の小さな桜を、竜の髪の毛の中にそっと差し入れた。
竜が訝しげな視線を政に向ける。が、政はそれを気にした風もなく、
「似合ってるぜ。」
と、言ってのけた。
「………。」
ほんのり桜色に頬を染め、視線を逸らす竜。笑顔のまま、二杯目の酒を口へ運ぶ政。
桜の花びらは、変わらずに二人の頭上に降り続けていた。


帰る場所 

「……。」
夕暮れの空を見上げながら、竜は微かにため息を漏らした。
少し高いところを、烏が何羽も連なって飛んでいる。恐らく自分たちの巣に帰るのであろう。
そこで、竜は何時になく感傷的な気分になっていた。
烏でさえ、帰るべき場所がある。では、自分はどうなのだろう。
生まれ育った場所から逃げ出し、今はこの江戸の片隅で、影に隠れながら暮らしている。
いつまで、この生活が続くのだろうか…。仕事人として動いている限り、
いつ命を落としてもおかしくない。それはわかってはいるが…。

そんな事を思いながら、竜は自分の店舗を兼ねる自宅へと戻った。すると、
「おう、お帰り。」
包丁で大根を千六本にしていた政が、竜に声を掛けてきた。
「…お前ぇ、何で居るんだ。」
「何でって…、今日は鱸のいいのがあるって加代に言われたからよ、どうせならお前ぇと食いたい、って思ってな。」
「……。」
それ以上は何も言わず、居間へ上がりこんだ竜に、政が続けて言う。
「もうすぐ飯が出来る。待ってろよ。」
刻んだ大根を鍋に入れる後姿を見ながら、竜はほんの少しだけ微笑んだ。

大根の千六本の味噌汁、鱸の塩焼き、そして甘く煮た豆で、竜は飯を四杯も食べた。
「…お前ぇ、よく食うなぁ…。」
飯のお代わりを渡しつつ、政が呆れて呟く。
「うるせぇ。」
言われて竜は照れたのか、残っていた茶を飲み干す。
「…まぁ、いいけどよ。」
政も、皿に残っていた鱸の身を口に運ぶ。
味噌汁と飯をほぼ同時に食べ終えたとき、竜はおぼろげながらも悟った。

ここが、自分の帰る場所。自分はここに居ていいんだ、と。


ため息

「ねえちょっと、八丁堀の旦那。」
いつもの見回りの時、主水はたいてい加代に声を掛けられる。
今日もまた同じであった。
「おう、どうした?」
「ちょっと話があるんだよ。入っとくれな。」
そう言って、加代は主水の着物の裾を掴んで、自分の店の中に引き入れた。
「一体何だっつうんだ? また胡散臭い儲け話じゃないだろうな?」
入れ込みに腰掛ける主水に、加代はすっと顔を寄せ、
「ねえねえ、あたしさ、昨日奉行所に行ったじゃない?その時に見たんだけどさ、八丁堀と話してた、あのなよっちい男。あれ、何者なんだい?」
「なよっちい、って…。」
そう言われてみれば、主水には思い当たる人物が一人しかいない。
「…あの方はな、俺が尊敬している、南町奉行所筆頭同心、田中熊五郎様だ。」
「…心にもない事言って、言葉が宙に浮いちまってるよ。」
加代はそういって笑う。それにつられて、主水も笑い出す。
「熊五郎なんて、体に合わない名前だねぇ…。 で、その熊五郎さんは、あんたとどんな関係なんだい?」
「関係も何もねぇ。ただ、あちらさんは俺をこき使ってるだけだろ。」
「嘘ばっかり。あたしには解るよ。あの人、絶対八丁堀の旦那に気があるよ。でなかったら、何であんなに顔近づけて話する必要があるんだい。」
「……。」
加代の言い分に、主水は黙って頬をかくしか出来なかった。
「あーあ、政竜といい、順之助の坊といい、あんたといい、何であたしの周りにはそういう男しかいないんだろうねぇ…。」
「…何だよそれ。」
思わず呟く主水を、加代はきっと睨み付けた。
「何言ってるんだい! あたしのようないい女が、こんな時期まで売れ残ってるのは、一体何でだと思う!?
周りの男の見る目がないからに決まってるじゃないか!あー、誰でもいいから、早いとこあたしを拾っとくれよー。」
大げさに嘆いてみせる加代に、主水は大きなため息をついた。



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