Passage of... :Freak



食材が詰まった袋を片手に、俺はゆったりと家路に着く。袋の中には、今晩の夕飯の材料が入っている。重たい袋を改めて担ぎ上げながら、俺は古い木製のドアを開けた。
ドアベルの音と共に、彼の目がこちらを向く。鋭いその視線が、入ってきたのが俺だと分かった瞬間に、即座に緩んだ。
「よ。」
短く声を掛けておいて、俺はカウンター席に陣取る。買い物袋を隣に置くと、彼はすぐに準備を始めた。
サイフォンの音が心地よく響く。程なくして前に置かれたコーヒーに、俺は舌鼓を打った。
「はー、美味ぇ。」
俺が呟くと、彼は口角を上げてそれに答える。仕事を終えてのこの一杯が、また格別なのだ。
飲み終えて、俺は席を立つ。会計を済ませ、買い物袋を抱え、
「じゃ、上で待ってるからな。」
彼にそう言い、俺は店を出る。すぐ横にあるエレベーターで、俺はこのビルの二階へと向かった。
スーツのポケットから鍵を取り出しつつ、俺は二〇一号室の前まで歩いていく。元々は彼の部屋。今は、俺たち二人が住む部屋だ。
部屋に入ると、俺はすぐに夕食の準備に取り掛かる。飯を炊き、先ほど買ってきた魚を焼き、サラダを作ってボウルごと冷蔵庫で冷やす。
そして、俺が帰ってから一時間半後。下の店を閉めた彼が、部屋に帰ってきた。俺は味噌汁の味見をしながら、顔をそちらに向け、彼を迎え入れる。
「おう、お帰り。」
「…ただいま。」
味噌汁の匂いに鼻をひくつかせながら、レオナルドは笑顔で答えた。


俺がレオナルドと一緒に暮らし始めてから、そろそろ一ヶ月になる。
前の部屋を引き払い、余分な家財道具を処分し、引越し業者と一緒に、俺は彼の部屋を訪ねた。出てきた彼は、部屋の前にいた俺と、その後ろに控える業者たちに、しばし言葉を失った。
「よ。」
ドアノブに手を掛けたまま固まった彼は、俺を頭のてっぺんから足の爪先まで満遍なく眺め、はぁ、とため息を吐いた。
「…本当に来たのか…。」
「好きにしろって言ったろ? んじゃ。」
彼の横をすり抜けて、俺は部屋の中へと入っていく。リビングの奥のアコーディオンカーテンを開け放ち、中を確かめる。リビングの奥の部屋は、ざっと見て八畳。南側のベランダに面した窓から、昼下がりの陽光が差し込んでいる。
「奥の部屋もらうからなー。おっ、ちゃんと片付けといてくれたんじゃねぇか…。」
「そ、それは、お前が…。」
何やら照れくさそうにしているレオナルドに気づかず、俺は自分の荷物を中に運び入れてもらう。俺が持ってきた荷物は、ベッド、自分用のクローゼット、本棚、ノートパソコン、テレビ、小さな机など。それらがあっという間に部屋に並べられていく。
「あ、テレビはリビングに置いてくれ。」
指示を出しつつ、自分も衣類などの荷物を解き始める。全ての荷物を置いて業者が帰ったあと、レオナルドはせっせと部屋の整理をしている俺の隣に、ぺたりと座り込んだ。
「…ん? どした?」
「…手伝う。」
「お、あんがとよ。それじゃあ、そのダンボールに入ってる本を、全部本棚に並べてくれ。」
「分かった。」
レオナルドは俺からカッターを受け取り、ダンボールを開ける。その後ろ姿を見ながら、俺は彼に分からないようにこっそりと笑顔を浮かべた。

その後、俺たちは細かいところを話し合った。思ったとおり彼は料理が全く出来ない。なので、食事を作るのは俺の担当になる。光熱費や色々な雑費は彼持ち、食費は俺持ち。衣類は、必要があれば自分で買うと決まった。
そこで俺は、衝撃の事実にぶち当たる。何と、このビルは彼の資産だったのだ。それをマンションにして人に貸していることで、彼には家賃収入がある。それだけじゃない。彼はここの他にも二つほど似たようなビルを抱えている。そちらからも収入がある。彼が以前、喫茶店の経営を「暇つぶしの道楽」と言っていた意味が、ようやく分かった。つまり、自分が食べていくぐらいの収入はあるのだ。
「まぁ、お前からは家賃を取るつもりはない。」
「…そりゃ助かる。ありがとよ。」
乾いた笑いを漏らしながら、俺は心の中で呟く。こいつ、金持ちだったんだな…。
もう一つ驚いた。風呂が広い。俺が前に住んでいた部屋の二倍はある。ゆったり入れる風呂というのは、それだけでありがたい。
「はー…。」
疲れ切った体を湯船に沈めながら、俺は心底リラックスした。これから、ここで暮らすんだな…。そう思うと、何か感慨深いものがある。
風呂から上がると、レオナルドはテレビを見ていた。こちらを振り向いた彼に、俺は笑みを向ける。
「いい湯だったぜ。ありがとな。」
リビングに置かれたテーブルの前に、どっかりと座り込む。そこで、俺はレオナルドに向かって頭を下げた。
「改めて、今日からよろしく頼む。」
「…俺こそ、よろしく。どうする、乾杯でもするか。」
「そうだな。」
俺の言葉に、彼は冷蔵庫から冷えた缶ビールを出そうとする。それを俺は、慌てて押しとどめた。
「あー、いや、ビールじゃなくて…。」
ビールを持ったまま視線をこちらに向ける彼に、俺は指を一本立てて、こんな提案をした。
「お前の淹れたコーヒーがいい。」
さっきから、ずっと気になっていた。台所に、店で使っているものと同じサイフォンがある。壊れている、とかそういう理由がなければ、使えるはずだ。俺の提案に、彼はきょとんとした顔になり、やがて苦笑を浮かべた。
「…分かった。」
短い返事のあとに、彼はあのサイフォンを使って、コーヒーを淹れてくれた。芳しい香りが立ち上る。俺好みの、焼けるほど熱いブラック。彼はコーヒーを満たしたカップを二つ用意し、片方に砂糖とミルクを溶かした。そして、ブラックの方を俺の前に置く。
「…じゃ、新しい暮らしに、乾杯だ!」
カップを合わせ、俺たちはコーヒーで喉を潤す。…あの日から、もう一ヶ月になるのか…。
今のところ、二人の生活は、問題なく回っている。俺の作った食事を、レオナルドは結構なペースで腹に収めている。俺が来てから、こいつの食生活は格段に豊かになったに違いない。
「美味いか?」
「…あぁ。」
しかし、相変わらず、口数は多くない。恐らく、彼とこんなに親しく口を聞きあえるのは、俺くらいのもんだろう、と思う。
そんな感じで、俺たちは概ね平和に暮らしていた。


「部長〜、聞きましたよ! 引越しなさったんですね!」
次の日、会社に着くなり、俺の部署の若いヤツが声を掛けてきた。
「…あぁ、まぁな。」
「どんなとこですか? 新しいお部屋は!」
「どんなって…、前住んでたとこよりは、会社にも近いし、広いし…。」
俺の言葉を、部下はふむふむと頷きながら聞き、したり顔でにやりと笑う。
「ほほう…。部長も、とうとう年貢の納め時、ってことですかね!」
鞄をデスクに置き、俺は怪訝な視線を部下に送る。
「どういう意味だ? そりゃ。」
「またまたとぼけちゃって〜。前よりも広い部屋に移る。それはつまり、一緒に住む相手がいるということ! ずばり、ご結婚なさるんでしょう!? いやー、部長にもついに良い人が現れたんですねぇ…。」
感慨深げに頷く部下の頭を、俺は手にしたファイルで軽く叩く。
「痛っ。」
「…生意気なこと言ってんじゃねぇよ、この青二才が。」
「ヒドイっすよ部長〜…。」
頭を抑えてわめく部下は放っておいて、俺はデスクに向かう。…まぁ、一緒に住む相手がいる、ってのは当たっているが。
(良い人、なぁ…。)
確かに、レオナルドは良い奴だとは思う。だけど、俺たちは別に、そんな関係では…。
(…ん?)
ノートパソコンのキーボードを叩いていた手が、ぴたりと止まる。じゃあ、俺とレオナルドって、どういった関係なんだ…?
現在、レオナルドと一番親しいのは、恐らく俺だろう。かといって、この関係をどういう言葉で表せばいいのか、俺には分からない。
友人、相棒…、どれも少し違う気がする。仕事の合間を縫って考え続け、今日の業務が終わる頃、やっと一つの単語を見つけ出した。
「ルームメイト」。そうだな、これが一番しっくりくる。自分で出した答えに満足して、俺は会社を後にした。しかし。
いつも通り、夕飯の材料を買い、彼の店に立ち寄る。入った瞬間に俺を射抜いてきた視線が、ふっと柔らかくなる。心臓が、一つ大きく高鳴った。
「…よ、よう。」
片手を上げて挨拶をすると、レオナルドは表情を変えぬまま、コーヒーを用意し始める。まずい、今朝部下にあんなこと言われたから、変に意識しちまってるなぁ…。
彼が何も言わないのをいい事に、俺は終始俯いたままコーヒーを啜る。レオナルドの顔をまともに見られない。自分で思うよりも、俺はあの部下の言葉を気にしているようだ。
家に戻ってきても、俺は落ち着かなかった。何度も時計を見て、彼が帰ってくるまでの時間を数える。もうそろそろ…。
「…ただいま。」
「…お、おう、お帰り。」
俺がレオナルドを迎え入れると、彼はほっとしたように表情を柔らかくする。…その笑顔に、また胸が高鳴った。
(何でときめくんだよ俺は…!)
じゃがいもを剥きながら、俺はなるべくレオナルドの方を見ないように顔を背けた。自分でも分かるくらいに、顔が赤くなっている。俺とレオナルドはただの「ルームメイト」だって、自分で納得しただろうに…。
向かい合って夕食を食べていても、俺は黙り込んだまま。何となくテレビをつけているが、二人ともそちらには視線を向けない。非常に気まずい。
「…なぁ。」
沈黙に耐えかねたのか、レオナルドの方から口を開いた。その声に、煮物に伸ばそうとしていた箸が、ぴたりと止まる。
「ど、どうした…?」
「どうした、ではない。元気がなさそうに見えるが、何かあったのか?」
低い声で呟いて、レオナルドは俯いてしまう。そうか、こいつはこいつなりに、俺を心配してくれていたのか…。
「…何、大したことじゃねぇよ。ちょっと、仕事のことでな…。」
「…そうか。」
レオナルドは納得したのか、それ以上追及をしてこない。俺も何も言わずにいたが、…彼が、俺を心配してくれた。その事実が妙に嬉しくて、胸の奥が温かかった。
入浴後、自分のベッドに潜り込んでも、その温かさは消えない。それどころか、彼のことを考えているうちに、温かさは熱へと変わってきた。…これは、まさか…!?
そっと体を起こすと、カーテンの隙間から漏れていたリビングの明かりが、ふっと音もなく消えた。彼もベッドに横になったのだろう。静寂が満ちる自分の部屋の中、俺は彼の名をそっと呟いてみた。
「レオナルド…。」
途端に湧き上がる熱。胸の奥がちくりと痛んだ。まさか俺、本気でレオナルドのことが好きになっちまったのか…!?
(いやいや待てよ待てよ。俺も、レオナルドも、男同士なんだって…!)
布団を引っかぶって、俺は自分にそう言い聞かせる。しかし、一度意識し、暴走し始めた鼓動は、そう簡単には治まらない。おまけに、レオナルドの笑顔まで思い出してしまい、さらに顔が赤くなる。
(やべー…!)
まさかこの年齢になって、こんなに甘酸っぱい感情に襲われるなんて、思ってもみなかった。しかも相手は男。俺と同じくらいの年齢…。それよりも、
(明日っから、どんな面してレオナルドに会えばいいんだよ…。)
その方が重要だった。観察眼の鋭いレオナルドのことだ、下手にぎこちなくすれば、即座に俺の様子がおかしいことに気づく。問い詰められたら、隠し通せる自信が、俺にはなかった。
今のところ、ライバルといえる存在はいない。救い、と言えるのかどうか分からないが、それは確かだ。
(あー…。)
鼓動も治まってきた。考え事は明日にして、寝よう。でないと、またアイツに心配をかけてしまう。俺は大きくため息をつくと、無理やりに目を閉じた。


レオナルドへの想いを自覚してから、初めての週末。俺は疲れた体をベッドに横たえ、心地よく微睡んでいた。南の窓から差し込む光は明るく、それでいて優しい。絶好の昼寝日和、といったところだ。
「…おい。」
…ん、何か、声がする…?
「おい。」
何だよ、もう少し寝かしといてくれよ…。
「ラファエロ、起きてくれ。」
「…!」
さっきから俺を呼んでいたのがレオナルドだと分かるや否や、俺はベッドから飛び起きた。やべぇ、名前呼んでくれた…!
「…ど、どうしたんだよ、レオナルド…。」
凄まじい勢いで、心臓が高鳴っている。それだけ言うのが精いっぱいだった。
彼は俺のベッドの横に立ち、じっとこちらを見下ろしている。どうも私服のようで、いつも仕事のときに着ているのとは、また違った服装だった。
「…気持ちよく寝ているところを悪いが、腹が減った。」
「えっ。」
ベッドサイドに置いた時計に目をやると、時刻はそろそろお昼になろうかという頃。
「分かった、何か作る…。」
「…頼む。」
胸の鼓動を抑えながら、俺は冷蔵庫の中を物色する。ちょうどあった材料で、焼きうどんを二人前、手早く作る。テーブルに置いてやると、彼は嬉しそうに箸をつけた。そんなに腹減ってたのか…。
「…なぁ、レオナルド。」
俺が声を掛けると、彼は口の中のキャベツを飲み下してから、こっちを見た。
「…何だ。」
「今日って、店、休みなんだろ。だったら、…散歩でも、しねぇか?」
口に出してしまってから、俺はしまった、と思った。レオナルドの表情が硬い。
「ほ、ほら、今日ってこんないい天気だしよ、お前と休みが合うのも初めてだし、家ん中に閉じこもってんのも、勿体ねぇかなって、思って…。」
慌てて取り繕ったが、レオナルドの表情は変わらない。痛恨のミスか…? と思っていると。
「…別に構わない。」
ぽつりと呟いて、レオナルドはまたうどんを口に運ぶ。俺は嬉しくなって、子供みたいにはしゃいでしまう。
「じゃあ、メシ食ったら出掛けようぜ。」
「あぁ。」
そんな俺を見て、レオナルドは小さく笑いを漏らす。あぁ、やっぱいいな、この笑顔…。

降り注ぐ、午後の優しい日差し。吹く風は柔らかくて、とても気持ちがいい。
「んー…!」
川沿いを歩きながら、俺は大きく伸びをした。隣を歩くレオナルドは、風に吹かれて目を細めている。
「いい日だなぁ…。」
「そうだな。」
俺が何となく漏らした呟きにも、彼はこうして反応してくれる。それだけでも、俺は嬉しかった。
広い河川敷には、野球のグラウンドが作られている。そこで、少年野球のチームが試合をしていた。川沿いの土手の上はサイクリングコースになっていて、そこでサイクリングを楽しむ人、ジョギングをする人、そして、俺たちのように散歩をする人もいる。皆それぞれ、思い思いの休日を楽しんでいた。
「おっ、いい当たりだな…。」
野球の試合を見下ろしながら、俺たちはゆったりと歩く。響く歓声に、自然に笑みがこぼれてくる。
「ガキの時は、野球選手になりてぇとか言ってたもんだが、そう簡単じゃねぇよな…。」
レオナルドは言葉を発しない。しかし、その顔には薄い笑みが漂っていた。俺の話をちゃんと聞いてくれている証拠だ。
遠くに輝く川面を見つめながら、俺はふと足を止める。つられて彼も立ち止まり、俺の横に並んでくる。ふわりと吹き抜ける春の風に手をかざし、何気なく口を開いた。
「…俺な、この年になって何だが、夢があるんだ。」
「…夢?」
「あぁ。…笑わねぇ、って約束すんなら、話してやる。」
口を尖らせる俺に、彼は真顔になって言う。
「笑わない。」
…だから話せ、か。真剣そのものなレオナルドの目に、俺は思わず苦笑いをした。
「分かった、話すよ。…俺な、今の会社を定年退職したら、お前の店を手伝いてぇ、って思ってるんだ。」
「…俺の?」
「あぁ。おっさん二人で経営するんだ。俺がいりゃ、ちょっとした軽食だって出せるだろうし…。ま、そのためには色々と資格取んねぇといけねぇけどな。」
はは、と笑う俺に、レオナルドは少しの沈黙のあと、小さく頷いた。
「…いい夢、だと思う。」
「だろ?」
俺が笑うと、レオナルドも笑う。これが俺の夢だってことは、つまり、これからもレオナルドと一緒にいたい、ということに他ならない。
(気づいてねぇんだろうなぁ、きっと…。)
横で微笑む彼を見ながら、俺はバレないようにため息をついた。


それから二週間ほど経った日のこと。いつも通り二人で夕食を食べているときに、俺はこんな話をした。
「そういや、明日なんだけどよ。俺の勤めてる会社、創立記念日で休みなんだよ。お前仕事だろ、何して過ごすかなぁ…。」
言い切ったあとに、俺は味付け海苔を乗せたご飯を豪快に頬張る。すると、レオナルドは少し考えた末、素晴らしい提案をしてくれた。
「…なら、俺の店、手伝ってみるか?」
「…えっ、い、いいのか!?」
「あぁ。」
レオナルドの提案に、俺は思わず両手をぐっと握り締めた。あの時話した夢を、ちゃんと覚えててくれたんだな…!
「よ、よろしく頼む。」
仰々しく挨拶をして、俺はレオナルドに頭を下げる。夢への第一歩を踏み出せることが、すごく嬉しかった。
翌日、俺はいつもよりも大分早起きし、朝食を作る音で半ば無理やりレオナルドを起こした。
「おう、おはよう!」
「……。」
彼は寝ぼけ眼で時計を見、俺に向かって苦笑を投げる。
「いやに張り切ってるな。」
「当然だろ! 昨夜は楽しみすぎて、寝らんなくてよー…。」
はしゃぐ俺を、レオナルドは(仕方ないな)とでも言いたげな顔で見ている。彼に呆れられるほど、俺は今日を本当に楽しみにしていた。
そして、いよいよその時。レオナルドの予備のエプロンを借り、彼の店のカウンターの中に入る。普通の私服の上に、いつも彼が身につけている黒いエプロン。腰の紐を体の後ろで交差させ、前に持ってきて縛る。普段はいつもスーツだから、こういったいかにも「制服」というような服装は久しぶりで、それだけでも心が躍った。
「おー、楽しみだな、誰か来るかな…。」
見慣れたはずの内装も、こうやってカウンターの中から見ると、やけに新鮮に思える。洗い終わったカップを拭くレオナルドの隣で、俺はわくわくしながら来客を待っていた。すると、
「…あれ? 部長!?」
ドアベルを鳴らしながら入ってきたのは、何と会社の部下数名。全員、カウンターの中にいる俺を見て驚いていた。
「何だお前ら! どうしたんだ?」
思いがけない来客に、俺は驚きながらも笑顔で彼らに席を勧める。
「いやー。部長のお住まいがこの辺りだって聞いて、一度遊びに行こうかと思って。お部屋まで行ったら留守なんで、どうしようかと思ってたんですけど、ここに居たとはねー…。」
言いながらも、部下たちは店内の内装を珍しそうに眺めている。俺にとっては懐かしいが、彼らは恐らく初めて見るものばかりだろう。
「急に思い立ったもんで、連絡もせずスミマセンっ。」
「ほんとだよ…。来るなら来るで、電話くらいしろっ。」
話している内に、女の子たちも合流してくる。いつの間にか俺のいる課のメンバー全員が揃っていて、店の中は満杯だ。
「しかしお前ら、若ぇのにヒマだなー。どっか遊びに行きゃいいのに。」
「だから部長のとこ遊びに来たんじゃないですか! まさか、こんな渋い喫茶店のマスターやってるなんて思いませんでしたけどね。」
部下の言葉に、俺は慌てて手を振って否定する。
「いやいや、俺はマスターじゃねぇぞ。隣の彼がマスターなんだからな。」
そう言って、俺は皆にレオナルドを紹介する。しかし、彼は表情を変えぬまま、カップを拭き続けている。それを、俺はいつも通りの態度だと思っていた。
「彼の好意で、俺はここに立たせてもらってるんだからな。お前ら、失礼のないようにな!」
「『はい!』」
揃った返事も気持ちよく、俺は鷹揚に頷く。コーヒーを出し、少し違った環境での部下たちとの会話を楽しみ、ふざけた一部の連中をたしなめ…、充実した一日が過ごせた。

しかし、レオナルドはそうは思っていなかったようだ。その日の夜、俺は気づかされることになる。


「いやー、楽しかったなー…。」
上機嫌で夕飯を終え、心地よい疲れを風呂で癒し、俺は心身ともに満たされていた。しかし、
「これで、俺の夢に一歩近づいたな。ありがとな、レオナルド。」
「……。」
夕飯の時から、いや、店を開いている時から、レオナルドは一言も発しなかった。営業中は、それがいつも通りだと思っていたが、店を閉めて夕飯にし、そして今になっても、一言も話さない、というのはやはりおかしい。何だ…?
「…なぁ、レオナルド。どうした?」
自分のベッドに寄りかかり、彼はずっと俯いている。そんな彼とテーブルを挟んで座り、重ねて問いかける。
「何で何も言わねぇんだ? 俺の接客態度、問題でもあったか?」
じっと彼を見つめながら言うと、レオナルドはゆっくり口を開き、抑揚のない声で呟いた。
「…その、お前の夢のことだが。」
「…おう、何だ?」
相槌を打った俺の耳に飛び込んできたのは、にわかに信じがたい一言。
「…俺は、賛成しかねる。」
「…は?」
い、いやいや、ちょっと待て。お前、「良い夢だ」って、言ってくれたじゃねぇか。だから今日、俺をカウンターに入れてくれたんだろ? なのに、どうして…?
「な…、何で…?」
理由を聞きたくて、俺は問いを投げる。しかし、レオナルドの口はぴたりと閉ざされ、こちらを見ようともしない。その態度が頭にきて、俺は強い口調で彼を問い詰めた。
「何でだよ! 俺の夢を知ったから、今日俺をカウンターに入れてくれたんだろ!? なのに、何でいきなり反対だ、なんて言うんだ!」
レオナルドを真正面から睨みつけながら、俺は乱暴に言い放つ。
「理由があるならちゃんと言え! こんな時までだんまり決め込むな!」
言葉は止めたが、視線は外さない。数秒の沈黙のあと、レオナルドは小さな、だがはっきりとした声で言った。
「…部下だか何だか知らんが、俺の前で若い女と親しげに話して…。」
「……!?」
唖然とする俺を後目に、レオナルドは不機嫌そうに吐き捨てる。
「見ていて、すごく不愉快だった。」
相変わらず視線はそらしたままだが、その表情は明らかに拗ねていた。俺が、部下の女の子と話してたのが気に食わない、って…。
「…お前、それ、ヤキモチ…?」
ぽつりと漏らした言葉に、レオナルドは露骨なまでにうろたえて、俺をじろりと睨みつける。
「ち、違う! ヤキモチなどではない!」
いや、顔が赤いけど。指摘すると、レオナルドはますます赤くなった顔を、手近にあった雑誌で隠してしまう。何だ、そういうことか…。
「…レオナルド。」
優しく名前を呼んでやると、彼の肩がびくっと震える。まぁ、そのままでもいいや。
「この際だから、はっきり言ってやるよ。」
「…?」
俺の真意が読めないのか、レオナルドはそろそろと雑誌を下ろす。俺は彼の隣まで行き、そっと彼の手から雑誌を取り上げ、半開きになった彼の唇に、優しく口付けた。
「…俺な、お前に惚れてんだよ。」
柔らかな口調で言うと、レオナルドの目が大きく見開かれる。よし、ちゃんと聞いてろよ。
「最初はさ、お前の淹れた美味いコーヒーが目当てで、お前の店に通ってた。それがいつの間にか、『お前と二人で過ごす時間』を楽しみに、通うようになったんだ。お前といられれば、無言の時間が続いても何も苦にならねぇ。美味ぇコーヒー飲みながら、お前と一緒にいられる。それだけで十分だったんだが…。」
どうも照れくさくて、俺は苦笑を浮かべてしまう。
「思いがけず、お前と一緒に暮らすことになって、本気で、これからもずっとお前と一緒にいたい、って思うようになった。お前と一緒に、色んなものを見たい。そして、いつも側にいて、お前の笑顔をもっと見たい、ってな。」

もし、人が「永遠」ってのを求めて、誰かと共にいたいと思うのなら。

「俺は、お前との永遠を望む。」
いつになく真剣な顔で、俺はレオナルドの顔をじっと見つめる。彼はしばし呆然としたあと、急に肩を震わせて笑い始めた。
「…そこで笑うか普通!?」
泣くならまだ分かる。しかし、そんな腹抱えて笑うほど、変なこと言ったか…?
「…いや、すまん。しかし、お前も大概変わったヤツだな。何だって? 俺との永遠を望む?」
「何だよ、悪ぃか。それに、変わったヤツだなんて、お前に言われたかねーよっ。」
何となくバカにされた気がして、俺は唇を尖らせる。レオナルドはようやく笑いを引っ込ませ、大きく息を吐いた。
「笑ったのは悪かった。まぁ、そんなお前も嫌いじゃない。それどころか…。」
そこで言葉を切ったレオナルドは、今度は自分から俺に口付けてきた。
「…俺も、お前に惚れてるんだ。はっきり言ってもらって、嬉しかった。…ありがとう。」
俺に抱きついたまま、彼は俺への想いを紡ぐ。普段からあまり口数が多くない彼の、精いっぱいの愛情表現。俺はそれを、レオナルドの体ごと受け止め、しっかりと抱きしめた。


この年になって、こんな甘酸っぱい思いをすることになるなんて。
「…先ほどの言葉を訂正する。俺は、お前の夢を叶えるためなら、協力を惜しまない。」
「…ありがとよ。」
しかも、同じ夢を一緒に見られる、パートナーまで出来るなんて。
(あ、やべ。視界が滲んできやがった…。)
泣いてるのがバレたら、レオナルドに申し訳ない。俺は幸せを噛み締めながら、目じりに浮かんだ涙を指で拭って、腕の中の愛しい存在と、もう一度キスを交わした。



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