ささやかな幸せ



「ふあ…。」
あくびを一つして、体に残った眠気を取り払う。
いつも通りの朝、特にどうということも無く、私は身支度を整える。
そう、今日も、普段どおりの一日だった。
…それに、気づくまでは。
何の気なしに、私は左手の腕時計を見る。表示している今日の日付は、二月十四日…。
「…そうか、今日はバレンタインデーか…。」
そう呟いた途端、私の顔にかあっと血が上る。それもそのはず、私の頭を彼の顔がよぎったからだ。
有紀隊長と付き合い始めて、もうすぐ一ヶ月になる。
もしかしたら…、隊長は、チョコレートを下さるのではないだろうか…!?
わけもなく動揺して、私は洗面所の鏡の前で、真っ赤になった頬をぴしゃぴしゃと叩く。
何とか落ち着きを取り戻したものの、部屋を出る時間が少し遅くなってしまった。


やっぱりダメだ。全然落ち着けていない。
ブリーフィングルームで待機している間中、私は絶対に有紀隊長と目を合わせなかった。
合わせたら最後、また顔に血が上るのは分かりきっている。
「…バルジ、どうした?」
「っ!」
そんな私を見かねたのか、有紀隊長が声を掛けてきた。しかし、顔が上げられるはずもない。
膝の上で両手をぐっと握り締め、こう返すより他なかった。
「…いえ、何でもありません。」
「そうか? 体の調子が悪いのなら、ユキに見てもらったほうが良いぞ。」
「……はい。ありがとうございます。」
それきり、私は黙り込む。視線を感じてふっと顔を上げると、有紀隊長がこちらをじっと見つめているのが目に飛び込んできた。
その優しいまなざしに射抜かれた瞬間、私は再び顔を赤らめてしまった。
「…す、すみません、ちょっと…!」
我慢の限界に達し、私はとうとうブリーフィングルームを飛び出した。
「はぁっ、はぁっ…。」
近くの壁にもたれ掛かり、早鐘を打つ心臓を、服の上からぐっと押さえる。
…有紀隊長、変に思われただろうな…。
意識しすぎるのは良くない。それは分かっているが…。
私は、自分で思っている以上に、有紀隊長が好きみたいだ…。
戻るに戻れず、私は逃げるようにその場を後にした。


結局、その日は急な出動要請もなく、普通に今日の任務を終えた。
「皆、ご苦労だったな。今日は少しゆっくり休んでくれ。」
有紀隊長はそう言って、私たちに敬礼をする。それに倣い、私たちも全員敬礼をする。
が、私はまだ有紀隊長の顔がまともに見られなかった。
彼に何か言われる前にと思い、足早に自分の部屋へと戻る。ベッドへと倒れこみ、私は大きくため息をついた。
(有紀隊長…。)
優しいまなざしを思い出して、胸が痛む。同時に申し訳なくも思い、私は枕に顔を埋めて、もう一度ため息をついた。
どのくらい、そうしていただろうか。
聞こえてきたノックの音に、私は枕から顔を上げた。
「…はい。」
返事はない。
「…どうぞ。」
声を掛け、しばらく待ってみても、私の部屋をノックした人物は、一向に入ってくる気配がない。
さすがにおかしいと思い、ベッドを離れて、部屋の入り口まで行ってみる。
ドアを開けると、そこには無人の廊下が広がっていた。
「おかしいな…。」
首をかしげ、ふと足元を見やると、そこには小さな箱が置かれていた。私宛だろうか…。
箱を拾い上げて、私は部屋の中へと戻る。綺麗にラッピングされた箱には、小さなメッセージカードが付いていた。
開いてみると、黒いインクで書かれた「バルジへ」という文字が見えた。丁寧な文字は、誰のものかすぐに分かる。
(有紀隊長の字だ…! ではこれは、有紀隊長からか…!?)
カードには、「渡すのが遅れてすまん。ささやかではあるが、私からの気持ちだ。受け取って欲しい。」と書かれていた。
それに、「愛している」とも。
「……。」
箱を開けてみると、トリュフが十個ほど入っていた。チョコレート特有の甘い匂いが立ち上る。
ベッドに腰掛け、その内の一つを口に運ぶ。滑らかなクリームを味わっているうちに、私は心まで温かくなってくるのを感じた。


明日になったら、このチョコのお礼を伝えよう。

そして。

「愛している」と、ちゃんと言おう。



戻る