遣らずの雨



それは、ほんの偶然だった。
ただ、もう少し一緒に居たかった。それだけだった。

組紐を編んでいる竜の背中を見つめながら、政は微かにため息をついた。
陽はすでに落ちており、室内の二人を照らす灯りは、行灯の炎ぐらいしかない。
仕事をしているときの竜は、他の一切の事を気にしなくなる。さすがに店の外に人の気配がするぐらいは分かるが、
それ以外のことを眼中に置かない。 今、自分の後ろで寝転んでいる政のことも、同様にだ。
今日の昼間、政は加代からの荷物を届けに、竜の店にやってきた。それ以来の数刻、政は竜の仕事場で時を過ごしている。
竜が何も言わないのを良い事に、政は畳の上に横になって、じっと竜の仕事ぶりを眺めていた。
が、それも竜が仕事の手を止め、後ろを振り返ったことで終わった。
「…何だお前ぇ、まだ居たのか。」
「……随分な言い草だな、おい…。」
竜の言葉に、政はついその場に身を起こす。
「もう夜だぜ。とっとと帰ったほうがいいんじゃねぇのか?」
それだけ言い残し、竜は仕事に戻る。言われたほうの政は、そんな素っ気無い態度の竜に嘆息し、
「…分かったよ。」
小さく呟いて、戸口のほうへ歩いていった。


その言葉は、本心ではない。
本当はもう少しだけ、側に居たい、側に居て欲しい。
頑固な政も、寡黙な竜も、その一言が口に出せずに。
竜の横顔をちらっと見ながら、政が玄関の戸を開けた、その時。


地面が濡れていた。
「…あ。」
空を覆う仄暗い雲から、雨は徐々にその降る量を増していき、ついに飛沫を跳ね上げるまでになった。
行きかう人々も、突然の降雨に慌て、足を早めている。
「弱ったぜ、これじゃあちょいと帰れねぇな…。」
言いながら踵を返すと、ちょうど竜と目が合う。じっと見つめられ、政は何となく視線を反らした。
「……帰れねぇな。」
政はそのまま板の間に腰を下ろし、雨で煙る外の景色を眺めていた。すると、
「いいから、玄関の戸ぐらい閉めろ。雨が吹き込んでくるじゃねぇか。」
後ろから竜の声が飛んだ。
「…あ、悪ぃ。」
言われるがままに、政は戸を閉めにかかる。その背中へ、再び竜の声が掛かった。
「そこに居るんなら、ついでに茶でも入れてくれ。」
「…茶菓子はあんのか?」
にやりと笑う政に、竜は同じような笑みを浮かべ、
「大した物はねぇけどな。」
「構わねぇさ。」
政は一度履いた草履を土間に脱ぎ捨てると、火鉢の上の鉄瓶を取り、中のお湯を急須に注ぎ始めた。
何だか嬉しそうな表情の政を、竜はあるかなしかの笑みを浮かべて見つめていた。




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