心を潤す雨
走る電車の窓を、雨の粒が叩いてきた。
ドアのすぐ内側に立ち、私は雲に覆われた空を見上げた。天気予報が当たった形になる。
最初は小さかった雨粒も、電車が駅に近づくにつれて、どんどんその大きさを増していった。
しかし、私にとっては、この雨はむしろ楽しみでもあった。何故なら、先日デパートで買った新品の
折り畳み傘が、かばんの中で今か今かと出番を待っているからだ。
(やっと使える…。)
濃い青の傘をさして歩く自分を想像しつつ、私はホームへと降り立った。
改札への道を歩きながら、私はうきうきとした気持ちで傘を取り出す。が、
雑踏の向こうに、見慣れた顔を二つ見つけ出した途端、私の手はぴたりと止まった。
「ブルースに、学…?」
柱にもたれかかり、ブルースは傘を二つ持っていた。その横では、黄色いレインコートを着た学がこちらをじっと見ている。
もしかして、私を探しているのか…?
果たして、大当たりだった。折り畳み傘をしまいこんで改札を通ると、いち早く私を見つけた学が、大喜びでこちらに手を振り始めた。
「父さーん、お帰りー!!」
「お帰りなさい。」
「ただいま。…二人とも、迎えに来てくれたのか?」
ブルースの手から傘を受け取り、私は呟いた。
「うん…。学がどうしても迎えに行きたいって言うからさ。一人じゃ危ないし…。」
「…そうか、ありがとう。」
息子たちの優しさに心を打たれつつ、私は学の頭を撫でて、驚いた。
「…学、びしょ濡れじゃないか…。」
「来るときに、二回くらい転んだんだ。走ると転ぶからって、何度も言ってるのに…。」
はぁ、とため息をつくブルース。私はそんな彼の頭も撫でてやり、
「ケガをしなければいいさ。さ、そろそろ帰ろう。みんな待ってるぞ。」
と、言った。
「わーい!」
やっぱり学は走る。この雨をものともせずに、青い長靴で水溜りに飛び込み、飛沫を上げる。
「学! 危ないから走…、やっぱり…。」
ブルースの言葉の途中で、学はべしゃ、という派手な音を立てながら転ぶ。
しかし、彼はこの雨の中を遊びまわるのが楽しくて仕方ないらしく、泣きもせずに立ち上がり、また走り回る。
「しょうがないなぁ、もう…。」
そう言って、ブルースは背負っていたリュックサックの中からタオルを取り出し、学の顔を拭いてやった。
「もう三回目だよ! 転ぶんだから走っちゃダメ!」
「えー! だって楽しいんだもん!」
転んだにも関わらず、にこにこ笑顔の学。ブルースは少し呆れつつも、そんな学の手を取り、並んで歩き始めた。
「えー!? 手なんかつながなくっていいよー!」
「こうすれば、走れないからね。転ばなくってすむだろう?」
「…はーい。」
ブルースにしっかりと捕まえられ、学は少し不満げであった。二人のやり取りが、私にはすごく微笑ましく映った。
家に着くと、デイビッド、ルイ、そしてユキの三人が、並んで私たちを迎えてくれた。
「ただいま。」
「お帰りなさい。まあ、こんなに雨に濡れて…。ちょっと待っててくださいね。」
ユキは学を見るなりそう言い放ち、中から大判のバスタオルを持って出てきた。
「しっかり拭かないと、風邪を引いてしまいますからね。」
ユキに頭をごしごしと拭いてもらっている学を見て、ルイが笑う。
「あははは! おにーちゃん、びしょびしょー!」
「…うるさいなぁ。」
口を尖らす学の横で、デイビッドがブルースに何やら聞いていた。
「学、何回こけた?」
「…三回。」
「よっしゃ! 賭けはオレの勝ち!」
「お前たち、そろそろ父さんを家の中に上がらせてくれ…。」
台所から漂ってくる味噌汁の匂いが、ぺこぺこなお腹にしみる。
「あっ、すみません。それじゃあみんな、ご飯にしましょう!」
「『はーい!!』」
ユキの声に、子供たちは元気よく台所へと駆けていった。残された私とユキは揃って顔を見合わせ、
「…行くか。」
「はい。」
微かに笑いをこぼしながら、子供たちの後を追った。
結局折り畳み傘は使えなかったが、私は満足だった。
いつの間にか育っていた、子供たちの大きな優しさに、この手で触れることが出来たからだ。
願わくば、その優しさを失うことなく、大人になってほしい。
その日の私は、温かい気持ちのまま、眠りにつくことが出来た。
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